May 26, 2010

Lecture4 "HOW TO MEASURE PLEASURE"
(JUSTICE with Michael Sandel)

『高級な「喜び」 低級な「喜び」』


Lecture4 高級な「喜び」 低級な「喜び」
サンデル教授はもう一人の功利主義の哲学者、ジョン・スチュワート・ミルを紹介する。ミルは、道徳性の高さは効用の大きさで決まると考え、「望ましいものとは、実際に人が望むものである」と述べた。さらに、功利主義が高級な喜びと低級な喜びを区別することが可能だと論じている。区別する方法とは、両方を経験した人が選ぶほうが、より好ましい喜びだ、というのだ。その実証のため、サンデル教授は学生たちにシェイクスピアと、人気のアニメやTV番組を比較させる。さて、高級な喜びに選ばれたのは・・・?




すべての価値と好みを集計することが、いかに難しいか

◆ Michael Sandel 教授の学生時代の例

私が Oxford 大学の院生だったころ、Oxford の College は男女にわかれていた。
女子 College に男性を泊めることは禁止されていた。
でもそれは形だけの物だ。
……と、私は聞いた(笑)

しかし時代は変わり、規則の緩和を求める圧力が強くなった。
それについて会議を開いたとき、年配の女性は保守的で反対だった。
本当の理由を言う事が恥ずかしいかったから、功利主義にすり替えこう反論した。
■ 男性が泊まると大学の出費が増える
   ・男性が風呂に入るとお湯の消費が増える
   ・マットレスを交換する頻度が増える
会議の結果、条件付きで規制が緩和された。
■ 条件
   ・女性が泊められる男性は週に3人までとする
      同じ男とする決まりは無かった(笑)
   ・宿泊客は50ペンス払わなければならない
翌日の全国紙にはこう書かれていた。

"St Anne's の女の子は一晩50ペンス"

この条件には、"貞節"という価値が考慮されていなかった。
すべての価値と好みを集計することが、いかに難しいかを表す例になるだろう。


● 功利主義への疑問
・ ドルという単一基準ではかれるのか?
・ 高級な喜びと低級な喜びに違いはないのか?
優劣を付けないのは魅力的だ。判断が必要ないし、平等主義的である。
Bentham の功利主義は誰の好みも重要で、その種類ではなく、効用は大きさと長さだった。
Bentham は言った。
"喜びの量が同じであれば、プッシュピンは詩と同じように良い。"
  Jeremy Bentham

他人の喜びを比較して、どちらが優れているか判断する権利はない。

しかし本当にそれでいいのだろうか?
・ 喜びの優劣を考慮しなくていいのだろうか?
ある種のものは他より優れていたり、価値が優れているという考えを取り払って良いのだろうか?

大勢のローマ人の喜びのために、キリスト教徒の人権が侵害されていた。
より多くの人の幸福のためには、戦いを見物するローマ人が享受していた邪悪で下劣な喜びにも何らかの価値を与え、評価しなければならないのだろうか?

◆ Mill は功利主義を血の通った物にしようとした
これらの疑問に対して、Mill は個人の権利など人道的問題や低級高級を、区別する必要性を考慮し、功利主義の計算法を拡大し、修正出来るか確かめようとした。

彼は著書"自由論"で、個人の権利と少数派の権利を擁護することの重要性を説いた。
1861年には"功利主義論"を発表。
Mill は、道徳の高さは効用の大きさで決まると考えていた。
Bentham の前提を否定したわけではない。
"望ましいものとは、実際に人が望むものである。"
   John Stuart Mill

経験から産まれる願望こそ、正しい道徳的判断の根拠である。
では、功利主義者はどうやって劣ったものや卑しいもの、価値のないものから、質の高いものを区別するのか?
"人々の願望や好みを除外して考えることは出来ない。
 何故ならそれでは功利主義の前提を崩してしまうことになるからだ。
 高級な喜びと低級な喜びを区別する方法はただ一つ。
 両方を経験した人がそれを好むかどうかだ。
"

   John Stuart Mill

"二つの喜びのうち、両方を経験した者が、全員またはほぼ全員、
道徳的義務感と関係なく迷わず選ぶものがあればそれがより好ましい喜びである。"

   John Stuart Mill

果たして Mill の方法は正しいだろうか?
    これで高級な喜びと低級な喜びを区別出来るだろうか?

出来る    :少数派
出来ない :多数派

◆ サンデル教授の実験

HAMLET, Fear Factor, The Simpsons の3つの映像を流し、どの作品が好きか拍手の大きさで評価した。
その後、どの作品が最も価値のある最高の経験・喜びであるか質問した。

作品                  拍手  高級だと思った人数
Shakespeare     小       多数
Fear Factor       中       極少数
The Simpsons   大       少数

好きとは別にして、The Simpsons が実際に高級な経験だと思う人より、Shakespeare の方が高級な経験だと思う人が多い。

● それは何故か?
Shakespeare が最も高級だと考える中で、実際にはThe Simpsons が好きだという人の意見を聞く

Alesha:
The Simpsons は見てるだけで笑わせてくれるので楽しめる。
しかし Shakespeare を楽しむには、読み方や解釈の仕方を誰かから教わる必要がある。
REMBRANDT の絵画と同じように。

Sandel:
もし誰かが、Shakespeare の方が良いと教えたら、無条件で受け入れるのだろうか?
Shakespeare が高級だと言ったのは、そう教えられたからなのか?
それとも自分自身でも納得しているのだろうか?

Alesha:
Shakespeare は違うが…、REMBRANDT はそうだ。
REMBRANDT の絵はすごいと言われれば、すごいと思うが、
実際は彼の絵を分析するより漫画を読む方が楽しい。

Sandel:
文化と伝統の圧力もある程度あるだろう。
私たちはどれが良い作品か教えられているからね。

Joe:
The Simpsons が一番面白いと感じた。
でも残りの人生を3つのうちどれか1つを考えて過ごすなら Shakespeare 。
深い喜びについてじっくり考えれば、自分自身の視野が広がり、
更に多くの喜びを引き出すことが出来ると思う。

Sandel:
では、残りの人生をカンザスの農場で過ごすことになって、
Shakespeare か The Simpsons どちらか一つしか見られないとしたら、
Shakespeare を選ぶんだね。


Mill は高級なものと低級なものの両方を経験した人は、必ず高級なものを好むと言ったが、実験の結果、それは証明されただろうか?

・Mill は正しいとした意見
Joe:
ネズミの脳には強烈な快楽をもたらす神経があり、この神経を刺激する方法を学んだネズミは、食べることも忘れ死んでしまう。
それだけ強烈な快楽を得られるからだ。
強烈な喜びは、生涯にわたって得られる喜びよりも、質の低いものだと思う。
勿論、強烈な悦びを得たいと思うが(笑)
長い目で見れば、ここにいるすべての人が、束の間の快楽に溺れるネズミであるよりも高級な喜びを享受する人間でありたいと考えるだろう。

このことから証明される…証明とまでは言わないが、2つの喜びのうち、
どちらかを選ぶか訪ねられた時、過半数の人が高級な喜びを選ぶはずだ。

Sandel:
つまりMill は正しいと?

Joe:
はい。


・Mill は誤っているとした意見
学生C:
人は良いものを選びます。それは相対的なもので、客観的な定義はありませんから、The Simpsons がより好まれる社会もあるでしょう。
The Simpsons は誰でも理解できますが、Shakespeare を理解する教育が必要だと思います。

Sandel:
なるほど、高級なものには、教育が必要だというわけだ。
Mill も高級な喜びは理解と教育が必要だと言っている。
その点は争っていない。
そして一度教育されると、人は高級なものと低級なものの違いがわかるようになり、
更には実際に低級なものより高級なものを好む様になると言う。
Mill も同じことを言っている。

"満足した豚であるより、不満足な人間であるほうが良い
 満足した愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い
 その愚者がもし異を唱えたとしても、
 それは愚者が自分の側のことしか知らないからに過ぎない"
   John Stuart Mill

ここからも高級な喜びと低級な喜びを区別しようとする Mill の姿勢が見て取れる。

美術館に行くか、家のソファーでビールを飲みながらテレビを見るか。
時には後者の誘惑に負けることもある。それは Mill も承知している。

しかし私たちは、ものぐさにダラダラ過ごしている間も、
美術館で REMBRANDT の絵画をじっと見れば、
もっと高級な喜びを得られると知っている。
どちらも経験しているからだ。

そして REMBRANDT を鑑賞することが高級なのは、
それが人類の高度な能力に関わっているからだ。


● 個人の権利が尊重されていないという反論に、Mill はどう答えようとしたのか?

ある意味では同じような論拠を使っていて、彼はこう言った。
"私は効用に基づかない正義の架空の基準を作り出す、
 どのような見せかけの理論にも異議を唱える。
 一方で、効用に根ざした正義こそが全ての道徳性の主たる部分であり、
 比類なく最も神聖で、拘束力をもつものであると考える。"

   John Stuart Mill

つまり、正義はより高級なもので、個人の権利は特権的だが、
功利主義の条件から外れない場合においてのみ尊重される
"正義とはある種の道徳的要請の名称であり、
 集合的に見れば社会的効用は他の何よりも大きく、
 他の何よりも優先されるべき義務なのである。"

   John Stuart Mill


正義は神聖で最優先されるべきものであり、
それは劣るものと簡単に交換できるものではない。
「しかしその理由は功利主義者の考え方に基づいたものである」
と Mill は主張する。
私たちが考慮すべきは、人類全体の進歩で、長期的利益である。
もし私たちが正義を行い、権利を尊重すれば、社会全体が向上する。


● この考えに説得力はあるだろうか?
それとも Mill は、質の高い喜びや神聖で重要な個人の権利について論じることで
知らずに功利主義の枠組みからはみ出したのであろうか?

権利と正義について論じるためには一度功利主義から離れ、
別の方法で権利とは何かを説明し、
それらの考え方が成功しているかどうか確かめなければならない。



ところで・・・

死者はどのような形で人の役に立つことが出来るか
Bentham は解剖学のために研究に使うことだと考えた。
だが、偉大な哲学者の場合は
未来の思想家を刺激するためにその肉体を保存する方が良いとした。
London 大学では Bentham の遺言に従い、体を補完している。
防腐処理に失敗して頭は蝋で出来ているがね。
本当の頭は足元にある。皿の上に!(笑)
大学は Bentham の体を会議に着かせて、
「議事録に出席したが投票せず」と書いているそうだ。

これこそ哲学者だ。
生きている間も、死んでからも、自分の哲学の原則に忠実であった。

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