『課税に「正義」はあるか』
Lecture5 課税に「正義」はあるか
アメリカでは、所得層の上位10%が富の70%を所有している。アメリカは、民主主義国の中で、富の分配については、もっとも不平等な社会の一つである。さあ、これは公正か不公正か?サンデル教授の質問から議論が始まる。その中でリバタリアンの哲学者、ロバート・ノージックを紹介する。リバタリアンの理論によれば、政府の介入が最低限に抑えられた最小国家のみが正当化され、政府は(1)人間を自分たちから守るような法律(シートベルトを強制する法律など)、(2)社会に道徳的価値観を押し付ける法律、(3)富める者から貧しい者への所得を再分配する法律、を制定する力を持つべきではない。サンデル教授はビル・ゲイツとマイケル・ジョーダンの例を挙げ、税金による再分配は強制労働と同じであるというノージックの理論を説明していく。
NHK ハーバード白熱教室
◆ 功利主義批判に対するミルの答えと反論あるいは疑問
功利主義の枠組みの中で、
"高級な喜びと低級な喜びを区別することは可能だ"Mill は自身の著書「功利主義」でこう述べたが、
Shakespeare と The Simpsons を見比べた結果、
それについて疑問を感じざるを得ない結果が出た。
多数の人が、The Simpsons は好きだが、
Shakespeare の方が高級で価値のあるものだと考えた。
『功利主義』◆ 個人の権利と正義は特に尊重され、長い目で見れば社会は良い方向へ行く
"個人の権利と正義は特に尊重されるべきものだ"
何故 正義は道徳の中で重要で、他と比べようのないほどに拘束力が強いのか?
正義を行い権利を尊重すれば、社会は良い方向へ行くのは本当だろうか?
個人の権利を侵害し人々の暮らしが良くなれば、人を利用しても構わないのだろうか?
◆ 正義と権利についてミルの考え方には、さらなる反論が可能だ
仮に功利主義の計算法が正しく、長い目で見て生活が良くなっていくと仮定して、
・ それは正しい理由だろうか?
・ それだけが人を尊重する理由だろうか?
医者が5人を救うために、健康診断に来ていた1人の健康な人から臓器を取り出し移植したら、いずれ悪い影響が出てくる。
・ 皆が健康診断に行かなくなるだろう。それは正しい理由だろうか?
・ 医者が健康な人から移植しないのは、
長い目で見れば、もっと多くの生命が失われるからなのか?
・ その理由が重要ならば、もはや Mill の功利主義では説明がつかないのではないか?
◆ 二つの懸念と反論を検討するため、さらに深く考える
高級な喜びより低級な喜びを考えた結果、
・ 喜びの価値に対して、個人の道徳的基準を示す理論はあるのか?
正義と権利の問題について、厳密には功利主義とは言えない "人間の尊厳や他人の尊重という概念" に、Mill が知らずに寄りかかっているとするなら、Mill でさえ持っているこの直感について説明できる、さらに強力な権利理論があるのではないだろうか?
つまりは、他人を尊重して他人を利用しない理由は、長い目で見れば、効用を凌ぐというものである。
そういった強力な権利理論について考えてみる。
◆ 強力な権利理論 リバタリアニズム
(Libertarianism) — 自由原理主義・市場原理主義 —
個人はより大きな社会の目的、もしくは効用を最大化させるために、使われる単なる道具ではない。
個人は、尊重される価値のある、独立した人生をもつ、独立した存在である。
だから強力な権利理論においては、人々の好みや価値観を足し合わせることによって、正義や法律について考えるのは、間違っている。
それがリバタリアニズム (Libertarianism) 自由原理主義・市場原理主義 である。
彼らリバタリアン (Libertarian) は個人の権利が非常に重要と考え、その権利は自由の権利であると考えた。
私たちは独立した存在であるため、社会が期待するいかなる用途に利用されてはならない。
独立しているが故に、自由という基本的権利を持っている。
だから私たちは、自由に選択する権利、望むように生きる権利を持っている。
他人が同じようにする権利を尊重することが条件である。
◆ Libertarianism における政府や国家は、どう考えられているのか
・ Libertarianism の代表的論者 Robert Nozick
"個人には権利がある。
その権利は余りに強く、広範囲にわたるため
国家が行うことがあるのか、あるとすれば何か。"
Robert Nozick
近代国家が実行しているもので、
Libertarianism から見て、誤りで不当であるとするものは3つ
1. 干渉主義的な立法の否定
(No Paternalist Legislation)
人々が自分を守ることを強制する法律。例えばシートベルトやヘルメットの着用シートベルトを締めるのは、良いことかもしれないが、それは個人に委ねられるべきである。
国家や政府は、個人に無理強いを出来ない。
2. 道徳的な立法の否定
(No Morals Legislation)
法律の多くは、市民の美徳を促すものであり、全体としての社会の道徳的価値を表現しようとしている。
それもまた、自由の権利を侵害としている。
同性愛を否定する法律がかつて存在したが、これは誰の権利も侵害していなかった。
だから国家は美徳の促進、道徳的法律の制定と言う事業から撤退すべきである。
3. 富者から貧者への所得の再分配の否定
(No Redistribution of Income from Rich to Poor)
再分配はある種の強制である。
それらを促す課税や政策は認められない。
民主主義に限って言うならば、国家あるいは多数派が、成功して金を稼いだ人から盗むに等しい。
Libertarianism が唯一認める課税は、
社会が全員必要とする国防、警察、契約や所有権を実行する司法制度を維持するためのもののみである。
それも最小の政府によるもの。それだけだ。
◆ アメリカの富の再分配
民主主義社会では、アメリカは最も不平等な国の一つ
富の再分配についての意見を聞く前に話を具体的にし問題は何か知るため、アメリカの富の分配を見てみる。
アメリカでは、人口の10%が富の70%を所有している。
これは公正だろうか?
Libertarian は、この事実だけでは正しいか否かは知ることは出来ないとした。
傾向や分配、結果を見ただけでは、それが公正か判断出来ない。
どのようにしてそうなったのか知る必要がある。
結果を見るのではなく、Libertarianの2つの原則を見る必要がある。
◆ Libertarian の2つの原則
何が所得の分配を構成にするのか (Robert Nozick)
1. 取得の正義 :Justice in Acquisition
(最初の保有 :initial holdings)
収入を得るための手段を公正に取得したかどうか。
土地や工場を盗んで金を稼いだのか、正当に取得したものか。
2. 移転の正義 :Justice in Transfer
(自由市場 :free market)
自由な意思決定によるものかどうか。
人々は市場で物を買い、取引をする。
Libertarianism 的な正義の概念は、自由市場の正義の概念と一致している。
自分が使うものを、盗んだのではなく、公正に取得し、個人の自由選択による売買の結果、分配が生じたら、その分配は正しい。
そうでなければ公正ではない。
自分が使うものを、公正に取得し、自由選択の売買の結果、成立したのならそれは正しい。
◆ 課税による分配の是非(Bill Gates & Michael Jordan)
■ Bill Gates
資産は400億ドル。
大金持ちになったら笑顔にもなるさ(笑)
MS社を設立してから1日14時間働いたと仮定した時、Bill Gatesの報酬のレートは"1秒あたり"150ドルと計算した者がいた。
つまり仮にゲイツが仕事に良く途中、100ドル札を落ちてることに気がついても、立ち止まって拾う価値は無い。
* こんなに大金持ちなら課税して貧しい人に金を分け与えてもよいのではないか
そんな彼の財産に課税して、教育を受けられなかったり、食べるものや、住むところが無かったりする人達のニーズを満たすべきだと思わないだろうか?
彼らの方がずっと困っているはずだ。
もし功利主義者だったら一瞬にして再分配するだろう。
たとえ Gates にとって、盗られても気がつかないくらい僅かな金額でも、
最下層の人々の生活や福祉を大きく改善出来るからだ。
しかし Libertarianism においては、そのように人々の満足を集計出来ない。
人は他人を尊重しなければならないからだ。
取得の正義と移転の正義という2つの原則に従って公正に得た金を、取り上げるのは間違っている。
それは強制だからだ。
■ Michael Jordan
彼のプレーによる収入が 3,100万ドル、Nike 等企業との契約による収入が 4,700万ドル、
合計すると、彼の年収は7,800万ドルだ。
彼の年収から1/3を、貧しい人に食べ物や教育、家や医療を与えるために、政府に寄付しろと要求することは強制だ。
公正ではなく、権利を侵害している。
故に再分配は間違っている。
● 貧しい人を助けるためでも再分配は間違いだという主張に賛成だろうか?
賛成 :少数
反対 :多数
・反対意見
学生A:
Jordan は一般の人より大きな贈り物をもらっている。
それを再分配する、より大きな義務があると思う。
一日十数時間、洗濯する人と同じように必死かもしれないが、
それよりはるかに大きな収入があるのだから全てを自分のものとするのは誤りだ。
・賛成意見
Joe:
僕には、スケートボードのコレクションが100個あるが、仮に100人の社会で99人にそれを持っていかれたら、それは公正ではない。
Parker を殺して食べたようなことを、ある種の状況では不正を見逃す必要があるとは思う。
だが、所有物や資産を取り上げることは不正であり盗みであることは覚えておくべきだ。
Sandel:
飢えた子どものためにパンを盗んだ母のように、飢えている人に食べ物を与えるためでも、
33%で課税するのは間違いであり盗みであるというわけだね。
だとしたら何故それが盗みなんだろう?
Joe:
それは盗みである。対象が公正に得たものだからだ。
だが見逃す必要も時にはあるだろう。
Sandel:
Joe の意見に反論のある者は?
学生B:
100個もスケートボードをがあるのなら、99個を分け与えても問題ないだろう。
使いきれない。
政府が再分配しない社会では、金持ちはどんどん裕福になり、貧しい人はいつまでも貧しいままだ。
現実社会ではスタート時点で既に差が出来ているのだから、一生人より低い賃金で働くことになる。
Sandel:
ある程度の再分配がなければ、底辺に取り残された人には、機会の平等が与えられなくなるということだね。
◆ 課税に反対する議論
■ 課税は所得の取り上げである
(Taxation = taking of earnings)
Joe は必要に応じて見逃す必要もあると言ったが、Nozick はさらに厳しい。
■ 課税は強制労働である
(Taxation = forced labor)
国家が労働の果実を取り上げる権利を持っているとしたら、
それは道徳的に国家が個人に労働の一部を要求する権利を持っているのに等しい。
ならば、課税は道徳的に強制労働に等しい。
何故なら、強制労働は必然的に個人の余暇や時間、努力を取り上げることになるからだ。
課税は個人が働いて稼いだ所得を取り上げるのと同じである。
Libertarianにとって、再分配のための課税は盗みであり、
人間の人生と労働のある程度の時間を要求することに、道徳的に等しい。
だから課税は道徳的に強制労働に等しい。
国家が個人の労働の果実を要求する権利があるなら、個人の労働そのものに対する権利があることを暗示している。
■ 強制労働とは奴隷制である
(Forced labor = Slavery)
個人に自分自身の労働に対する独占権がないのなら、政府もしくは政治団体が個人の部分的所有者となる。
国家が個人の部分的所有者となるということは、"奴隷だ"ということ、自分が自分を所有していないということになる。
この一連の論理展開から明らかになるのが、
権利に対する Libertarian の考え方の原則
自分を所有するのは自分であるという"自己所有"の原則。
強制労働は自己所有の原則の侵害である。
故に奴隷制は自己所有の侵害 (Violates Principle of Self-Possesion)である。
権利を重要として人間を好みの集合体とみなしたくないなら、
そこから導かれる根本的道徳原理は自分を所有するのは自分だという考え方だ。
これこそが功利主義が破綻した理由である。
自己所有の原則の侵害だからこそ、健康な人から臓器を移植するのは誤りだ。
⇒ 功利主義が破綻した理由
人は他人や社会に属しているのではなく、自分自身に属している。
同じ理由から、自分を守ることを強制する法律や、いかに生きるべきか美徳を指図するのも間違いだし、貧しい人を助けるために課税するのも間違いだとする。
施しを求めるのは良い。
だが課税することは、強制労働と同じことなのだ。
Michael Jordan にむかって、
"来週の試合をサボり、Hurricane Katrina の被害にあっている人を助けに行って欲しい"
と言っているのに等しい。
それでは課しているものが大きすぎる。
Libertarianism を否定するなら、
"課税 = 所得の取り上げ = 強制労働 = 奴隷制"
という一連の議論展開を論破しなければならない。

